自動車保険は登場時と現在とではその意味合いが大きく異なっています。自動車保険が現在のような形式となるまでにどのような道のりを歩んできたのでしょうか。また、未来への展望についても併せて書き記したいと思います。
日本の自動車保険は1914年からスタート
自動車保険はイギリスで1896年からスタートしました。車はまだ一般的にとまでは普及していませんでしたが、自動車事故は世の中に暮らす人にとっては経済的損失を伴う災難でした。
日本では1914年に東京海上日動が認可を受けて自動車保険の販売がスタートしていますが、まだ自動車は1000台程度と少ない状況ではありました。また、自動車保険の内容も現在のような被害者救済という方向性よりは、車という高価な財産を守る意味合いを強く持っていました。
その後、 自動車の台数は1923年には12,765台、1926年には40,070台、世界恐慌の逆風や、第二次大戦を超えて、1965年末には8,123,096台にまで増え、自動車保険加入者も自動車の普及に合わせて増えていきました。
自動車損害賠償保障法(自賠法)
日本において自動車事故による損害賠償は1955年の自動車損害賠償保障法(自賠法)が出来るまでは過失責任主義に基づいてなされていました。
過失責任主義とは、故意又は過失が無ければ損害賠償責任は発生しないというもので、被害者側が立証を行うのは非常に難しく泣き寝入りするケースが出るなど社会問題となっていました。
自動車損害賠償保障法は交通事故の加害者の責任について言及している法律で、自賠責保険の加入を義務付けている法律でもあります。この法律では、人身損害の賠償責任について無過失責任(損害の発生について、加害者の過失の有無にかかわらず損害賠償責任を負わせること)に近くなっています。
運行供用者が損害賠償の責任を逃れるためには、自分や運転者に過失がないこと、被害者または第三者に故意または過失があったこと、自動車に構造上の欠陥または機能の障害がないことを証明する必要があります。この結果、事実上の無過失責任に近くなる事から、被害者保護を図っています。
保険料自由化の流れ
大蔵省の護送船団方式によってそれまで一律の保険料だった保険は、金融ビッグバンの流れの中で1998年に規制緩和によって価格の自由化が行われました。これによって保険会社ごとに保険料が異なるようになり、外資系保険会社がこぞって自動車保険分野にも参入してきました。
また、ダイレクト系自動車保険と呼ばれる主に人を介さない形で販売する保険会社も現れてきました。TVCMや郵送、そしてインターネットを活用したりとまさに競争の時代です。
インズウェブもこの規制緩和に合わせて産まれました。
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自動車保険の未来
昨今の自動車保険の流れは、パーソナル化です。1人1人に合わせられた保険が産まれようとしています。
例えば運転危険度を計測して保険料の割引に利用したり、使用地域や天候等、事故につながる様々な要素を加味して保険料を決めたりした保険です。
また、自動車保険は1年契約を基本としていますが、数日間、他者の車を借りるときだけ加入したいというニーズの高まりを背景に1日自動車保険というサービスも出て来ています。
そして自動ブレーキといった車の技術の進化で事故自体が少なくなりつつあります。2018年1月からは自動ブレーキ搭載車に対する割引制度も始まりました。自動運転についてはまだまだ先の話になりますが、そういった際の自動車保険についても今後生まれていくでしょう。
まとめ
自動車保険の歴史は古いですが、進化はまだまだ続いていきます。
しかし、大事な事は保険は相手への賠償であると共に自分の補償でもあるという事です。
これはどの時代になっても変わりません。